キセキ
外へ
耳飾りも首飾りもない少女

先日、マウリッツハイス美術館展へ。
なんでも写真と結び付けてしまうけど、
「肖像画」のコーナーはポートレート写真とはなんだ?
とあらためて自分へのお題として考えるきっかけになったなぁ。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は確かにひきつけられる何かがあった。
光と影が豊かな階調で描かれているからなのか、
それを描いている顔料が創りだすほんの少しの凹凸からなのか。
WEBで観るとは別次元の立体感(リアルは違った意味の)があった。
なんだか光のためにあえてたくさんの影を描いている、そんな気がした。
写真もそうだけど、
「よくこの瞬間撮れたな!」という決定的瞬間や
「これ撮ったの大変だっただろな?」という凝った作品にすごいと思うこともあるけど、
シンプルでも何か引きつけられる写真って頭の中に居座ってなかなか離れない。
「耳飾りも首飾りもない少女」でそんな写真撮るのが目標です!
ヒトヤスミ。。。
地球猫と飼い人
ほんとは素直だった。
ロータリー
この際、冥王星人で

ばったり会ってすぐ
「何星人?」って聞かれたから
湿気で爆発した頭が地球外生命体に見えたのかと思いきや
六星占術のことだった。
「ん~、よく覚えてないけど木星か冥王星(そんなのなかった)だったと思う。」
と一応調べてみたら実は天王星人(-)で大殺界というやつが始まったばかりではないか!
と、へこみかけたけど12年に3年も停滞した日はないし、
そんな少ないカテゴリー分けで不運を共有してる人がたくさんいるのかと思うと励みになるし、
そもそも好きな仕事して食べていける今の生活で本気で幸せだと思ってるので、
「まぁ、いいか。」って言うと
「さすが天王星人、楽天家!見習お。」
と言って帰っていった。。。
でもそんな数年単位の冬眠生活より
日々日々もがいてでもちゃんと動いてたいし、
無意識に生き抜いてきた本能的な「直感」を一番信じたい。
through

二眼レフグループ展「R∞T」終了しました。
観に来ていただいたみなさま、本当にありがとうございました。
「通り過ぎてしまいそうな景色」を集めた組写真。
自分にとっては実験的で怖さもあったセレクト。
5年前の自分がみたらほんとに通り過ぎてしまうかもしれないから(笑)
でも、多くの方がそのもっと奥を観てくれて、感じとってくれて、
もっといろんな引き出しを開けてみたくなった。
ほんとはそこにあるのにスルスルスルーしてきたもの。
写真をはじめてから逆にスルーすればいいものも
いちいち気になる(笑)
自分の写真のルーツって、そこにあるのかも。
展示とは無関係だけど、最近こういうポートレートも好き。
20度、世界を傾ける

人生初の寝違えはひどいものだった。
初日は首をまっすぐすることもできなくて、
右に20度、前に20度の傾きでしか生活できず、
もう人生に相当疲れてしまった人にしか見えなかったと思う。
ゴハン屋さんでも
「ものすごくおいしくなさそうに見えるかもしれないけど、おいしいので。。。」
と弁明しながら食べる始末。(苦笑)
仕事のランチタイム。
カメラを持っていこうとすると
「こんな時でも持っていくんですか!?」とあきれ顔。
結局何も撮らない時もあるのだけど、
なにかしら心がゆれ動くときになくて後悔するのが嫌で持っていく。
なにかものすごく特別なものを撮りたい訳でもない。
1日が素通りしていくのが怖くて、
なにげないことが特別だとちゃんと噛みしめていたいだけなのかもしれない。
そして、カメラは持ち出してサイフを忘れたのは本気で馬鹿だと思う。
この写真もその日の1枚。
ついついスクエアの写真って水平とか角度を気にしてしまうけど、
そのままのぞいた角度がこの角度でなんだか新鮮でそのまま撮った。
きっとこの日しか撮れなかった1枚。
キネンシャシン

時間の感覚が人とずれすぎてるなとよく感じる。
この記事を書くのにりこっぱのブログをたどってなお感じた。
たどってもたどってもなかなか出てこない。。。
昨日のことのような日々だったけど、もう1カ月以上も前なんだ。
なんとなく彼女は自分の何倍もの速さで生きてる気がした(笑)
光があふれる場所で髪を切り、
光があふれる場所に泊まらせてもらった。
あふれる光は内側に入ってはじめて感じるものだと思った。
贅沢な時間。
みんながみんな、ただただ楽しんでシャッターを切ってた。
こんな好き勝手な記念写真って。。。
やっぱり大切だ。

チイサナユレ

最近、ごくごく日常を撮ってるな。
自分にとって特別な写真はほんの少しのユレがあれば産まれるじゃないかと思う。
頭と手のユレ。
今までゆれてなかったというよりは、小さなユレを写真に残したいと思っていなかったのかもしれない。
今は小さなユレこそ撮っておきたいと思う。
ゴサイノヨウニ

二眼レフグループ「R∞T」の写真展に参加します。
実は企画展には出し続けているもののグループ展は5年以上前に一度やったっきり。
グループ名の「ルート」にかけて自分の写真のルーツを辿る。。。
写真をはじめたころ、なにもかもが新しかった。
日常のなんでもないことが、実は小さな奇跡の集合体で、
今見てる光は一度きりの出会いだということを知る。
コドモが虫眼鏡で世界を見るように
通勤ルートだけで出会う
なんでもない、でも二度とない瞬間たちを写真に。
そういえば二眼レフの目線の高さは5歳のコドモのよう。
チョクシャニッコウ

太陽を直視することなく日常を過ごしているのは
そうすると失明する危険性があるからなのだけど、
大きな力を持つものは生も死も愛情も憎悪も持っているもんだな。
なんだって心地良さを感じるのは奇跡のような距離なのかもしれない。
イチニチイッサ

今年のテーマ「一日一茶」。
一日一回はティータイムを。
ついつい気持ちが張り詰めたまま一息できずに終わってしまう毎日。
追い込まれた時こそに衝動的に産まれる脳内ビッグバンもあるにはあるが、
最近は多くは脳内ブラックホールが産まれる手前で全部飲みこんでしまう。。。
とか言ってたら今年のバースデーは
何人かの方からティーカップ&マグカップをいただいた。
どれも大切にしたいので日替わりカップでテーマを実践したいな。
ニャーーニャーニャーニャ、ニャーニャニャー

猫の日。
生まれてほんの1年、呼吸を停止したこのコ。
長くは生きれない、いくつもの病院で言われたこのコ。
夜中の救急病院、朝まで体をさすってた。
もう13歳。
奇跡でも、嘘でも、間違いでもなんでもよかった。
正確なバースデーはわからないけど、今日はお祝いしよう。
ゼンゴニアルモノ

なかなか本を読む時間も取れないのだけど、
写真集なら写真観るだけだしなって数冊購入。
そのうちの1冊、「マグナム・コンタクトシート」を最近寝る前に読んでる。
正直なところこの写真集、購入するかどうかけっこう迷った。
取り上げられている写真はどれもその写真家を代表するような名作ばかり。
その前後の写真をみることで撮り手の手法や撮り手の気持ちがわかりすぎて
一枚の写真から想像する楽しみが薄れたり、
ネタばれや答えを突きつけられることでがっかりしてしまわないか?っていう不安もあった。
でも、それよりも
「その一枚をなぜ選らんだのか?」とか、
「その一枚のためにこんな流れがあったんだ」とか、
「その一枚をこんな風に焼くのか~」とか
写真家ぞれぞれの目線で写真を観ると実に考えさせられ楽しめた。
難点はむしろ文章を読むより時間がかかってしまいなかなか読み進めることができないことか(笑)
亡くなってはる写真家の作品もあるけど、
天国で「おいおい!それ見せんなよ!」ってなってないかとかいらん心配もしたり(笑)
失敗を消せないネガの怖さを実感した半面、
失敗を見てもらうのは今の自分にとっては成長につながるのかなとも思った。
結局残る一枚が撮れるなら、そのための失敗は失敗ではないのかも。
ヒツヨウナコト
アタラシイヒビ

またブログに広告が出そうなほど、間が空きましたが
明けましておめでとうございます!
昨日引いたおみくじが凶。。。
でも嫌いじゃない。
自分にとって凶なんてこんなもんだって年にしてやろうと思います。
12月に引っ越した部屋はいまだダンボールの山。。。
春には人を呼べる部屋にしたい。
シャシンを飾れる部屋にするのだ。
そして今年の目標は初の個展。
いつになるかは未定ですが年内には必ずやりますので
その時は告知します。
それでは、今年もよろしく!
camera view

前は「もうちょっときっちり撮ればよかった。」って思うコトが多かったけど
最近は「もうちょっときっちり撮らなきゃよかった。」って思うコトの方が多い。
うまく言えないけど、「自分」ではなく「カメラ」で切り取ってる感覚。
無駄に情報を入れすぎたかな。
invariance

同じテーマで撮り続けることはあっても
それを同じフレーミングで撮り続けるということはあまりしない。
と思ったのだけど、
ふと自分の写真を見返した時、
唯一同じ構図で撮り続けてる写真があった。
シノハラの上のネコ(笑)
なんで変わり映えしない写真を撮り続けてしまうんだろう?
きっと変わり映えしないことを撮り続けたいんだろうな。
もちろん部屋が変わったり、服が変わったり、光が変わったり、
僕もネコも老けていくし、同じようで違うのだけど、
そんなものじゃなくて、いつも寝る場所を変えるこのコが
唯一、自分のベッドとして認めている場所(笑)
変わらない場所、変わらない距離、変わらない温度。
写真で時間を止めてそれらを変わらない一瞬に閉じ込めるは簡単だけど、
動いている時間、その中で変わらないものを写したい。
だから、きっと一瞬にしないために撮り続けるんだと思う。
higemoja

はじめての沖縄。
数ヶ月前からみんなであーだこーだ決めただけあってすごく充実したプランだった。
なぜか最終日に行った日からたどってみる。。。
写真はヒゲモジャが素敵なガジュマルの木。
御嶽と呼ばれる聖地をたくさん巡ったけど、
このガンガラーの谷も御嶽がある場所。
興味深かったのは
「ガジュマルは歩く」という話。
◆枝から生えたヒゲモジャが徐々に地面に向かって伸びていく→
◆地面につくとそこからだんだんと木の幹になっていく→
◆元あった木は養分を吸われヒゲモジャだったものが本体になっていく→
◆そして、そこからまたあらたなヒゲモジャが。。。
とかなんてファンタジーな展開なんですか。
ガジュマルネタでジブリ映画1本作れそう。
新しいことをはじめる時は何かと心細かったり、頼りなかったりだけど、
地につけばそれがベースになっていく。
常により良い環境を求めて自らをスクラップ&ビルドしていく、
ガジュマルの生き方は学ぶところがあるなぁ。
そして、ランタンを灯してむかった洞窟の奥には
子宝に恵まれるという巨大で立派なフォルムの鍾乳石が。
女子たちがペタペタしてる姿はなんとも愛らしかった?です。
詳しくは検索してみてくださいまし。。。
ここはガイドつきじゃないと入れないところで
フリーダムを求める私は最初乗り気じゃなかったけど、
ガイドさんの話がおもしろくて引き込まれてしまった。
こういう旅も良いねぇ。
ということで、いつかのブログに続く。。。
immigration

いろいろ書きたいことが追いついてないのだけど、
まもなく引越し。
「日当たりが良いというか、光がまわる部屋がいい!」とか
「屋上に上がりたい!」とか
「自由に改装させてくれ!」とか
その前行った不動産屋さんではまったく相手にされなかった条件の物件をWEBで発見。
即問い合わせてみるとまだ空いてるのこと。
屋上は一度いけるかもと言われたものの、
最終確認で「前に住んでた人が騒いで苦情が出たもんで。。。」と却下。
その後、すぐに担当者Kさんがもう一度電話してくれたのだけど、なんとOKになったとのこと。
「そんな人じゃないので大丈夫です!」と強く言ってくれたみたい。(プレッシャー。。。)
Kさんはおもしろい物件をかなり扱ってきたみたいで
(少々デンジャラスな地域で家賃いらないけど大家さんにならないといけない物件とか。。。)
探してる物件の条件にはすんなり共感してくれたけど、
光の当たり方を見るために白い壁だけをパチパチしてたら
「いったい何を撮ってるんですか??」
と不思議な顔をされた。。。
正直なところ、家にいる時間って寝てる時間意外あまりない。
住みやすさというよりは、好きな光で写真が撮れる環境が欲しい目線で探したので
そのあたりはもひとつ理解できなかったみたい。。。
これから改装案考えます。
sukima
kasaneru

何度も観たくなるシャシンってどんなシャシンだろう。
鮮度を失わない、
観る度に違った見え方をしたり
もっと奥を観たくなるようなシャシン。
とある写真展の審査をする機会をいただいて
選んだ1枚のシャシン。
ごくシンプルな風景。
デザインもそうだけどシンプルが一番難しい。
ごまかしは効かないし、、
インパクトのある作品が並ぶ中では埋もれてしまうかもしれない。
何度も観る度にその風景のもっともっと奥をのぞいてみたいと思った。
その蒼はいったいどこまで深い階調を持っているんだろう。
きっとじっくり時間も想いも重ねられたんだろうな。
「衝動的な一瞬」も好きだけど、
今回はそれ以上に
「ていねいに重ねられた時間」に心を動かされた。